私は、境界アート(30秒アート)を「完成した作品」ではなく、「気づきを保存する行為」だと考えている。
私たちは日常の中で、数え切れないほどの違和感や面白さに出会う。しかし、そのほとんどは数分後には忘れ、二度と思い出せない。30秒アートは、その一瞬を逃さないための記録である。
だから、完成を待たない。
思いついたら描く。形にする。公開する。
推敲や修正は、そのあとでいくらでもできる。作品は育てればいい。しかし、最初の「気づき」は、その瞬間を逃せば失われる。
私は、美術において「完成してから発表する」という考え方だけが正しいとは思わない。
アングルやラファエル前派、モンドリアン、ダリのような作品には長い年月が必要だった。だが、多くの人には仕事があり、家庭があり、限られた時間しかない。十年後の完成を待っている間に、作品そのものが世に出ることなく終わってしまうこともある。
私は、それよりも今日の気づきを今日残すことを選ぶ。
作品は作者より長生きする。
途中の作品であっても、誰かが見た瞬間に価値を持つ。完成だけが作品の条件ではない。
30秒アートは深い理解を要求しない。
「なんだこれ。」
「馬鹿だな、この絵。」
そんな反応でも十分である。
作者が制作動機を語ることはある。しかし、それは正解ではない。
鑑賞者の解釈は自由であり、作者自身の解釈も時間とともに変化していく。昨日の説明と十年後の説明が違っていても、それは作品が生き続けている証拠だと思う。
私は、作品より説明が先に立つアートには魅力を感じない。
まず作品があり、そのあとに言葉がある。
言葉は作品を閉じるためではなく、新しい見方を一つ増やすためにある。
30秒アートは、見過ごされるものに価値を見出す試みである。
忘れてしまう景色、数字、食べ物、人のしぐさ、頭に浮かんだイメージ。
それらを作品という形で世界に残していく。